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恵美押勝の乱(764・天平宝治3年)

藤原仲麻呂は恵美押勝の名を賜り、大師にまで登る。しかし後ろ盾であった光明皇太后が死去すると、孝謙太上天皇が自分の看病に当たった僧の道鏡を寵愛し、淳仁天皇と対立したので危機感をつのらせて挙兵するも、太上天皇側に先制され、滅ぼされた。淳仁天皇は廃されて淡路に流され、孝謙太上天皇が重祚して、称徳天皇となった。