平城太上天皇の変・薬子の変(810・弘仁元年)

天皇は桓武天皇から平城天皇、そして嵯峨天皇へと引き継がれた。嵯峨天皇は即位後、平城京に再遷都しようとする兄の平城太上天皇と対立。「二所朝廷」と呼ばれる政治的混乱が生じた。双方の対決は、嵯峨天皇側が迅速に兵を展開して勝利。平城上皇は自ら出家、上皇の寵愛を受けていた藤原薬子は自殺、薬子の兄の藤原仲成は射殺された。これにより藤原式家は没落した。嵯峨天皇は天皇の機密文書を守るために、蔵人という令外官を置き、蔵人所という役所を置いた。そしてその長官である蔵人頭に藤原北家の藤原冬嗣を就任させた。ここから藤原氏の中心は式家から北家へと移っていく。