日本史 · 2024/10/06 明徳の乱(1391) 足利義満は1391年、日本国66カ国の内、6分の1にあたる11カ国の守護で、六分の一衆と呼ばれた山氏氏清を倒した。これを明徳の乱という。 この翌年、義満は南北朝の合体を行った。この合体は、南朝の後亀山天皇が後小松天皇に位を譲るという形で成立した。 tagPlaceholderカテゴリ: