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応仁の乱(1467~77)

嘉吉の変後、将軍権力の弱体化に伴って、有力守護家や将軍家に相次いで内紛が起こった。まず畠山・斯波の両管領家に家督争いが起こり、次いで将軍家にも8代将軍・足利義政の弟・義視と義政の子・義直を推す義政の妻・日野富子の間に家督争いが起こった。

それに当時、幕府の実権を握ろうとして争っていた細川勝元と山名持豊(宗全)が、これらの家督争いに介入したため、対立が激化し、1467年に戦国時代の幕開けとなる応仁の乱が起こった。

守護大名はそれぞれ細川方(東軍)と山名方(西軍)の両軍に分かれて戦い、主戦場となった京都は戦火に焼かれて荒廃した。(*1467年5月、東軍は将軍邸を占拠して、いったん義政・義尚・義視を手中にしたが、翌68年11月、義視が西軍に走り、東西2つの幕府が成立した)

応仁の乱は1477年、戦いに疲れた両軍の間に和議が結ばれて終戦を迎え、守護大名の多くも領国に下ったが、争乱はその後も地域的争いとして、続けられ、全国に広がっていった。