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小牧・長久手の戦い(1584)

1584年、羽柴秀吉は自分の権力に反発した織田信雄(信長の次男)・徳川家康と尾張の小牧・長久手で戦ったが、和睦に終わった。当時の有力大名であった徳川家康と和睦できたことで、秀吉の権力は絶大なものとなった。

次に秀吉が狙ったのは、朝廷内部の権力・関白である。秀吉は関白になるために、藤原氏が5つに分かれた五摂家の1つ、近衛家の養子となった。当時、関白になれるのは五摂家の貴族の家柄だけであり、地侍の出身であった秀吉が関白になるには、そうした人の養子になるしかなかったのである。

そして1585年、秀吉はついに関白になった。同年、四国の長宗我部元親を屈服させ、四国をも平定した。

翌1596年には太政大臣に就任し、天皇から「豊臣」姓をもらった。この苗字は五摂家よりも格上という意味合いがあった。