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慶長の役(1597)

1597年、豊臣秀吉は14万余りの兵で、2回目の朝鮮出兵を行った。しかし朝鮮も万全の体制を整えていて、日本は最初から苦戦を強いられ、翌年、秀吉の病死により撤退した。

前後7年に及ぶ日本軍の朝鮮侵略は、朝鮮の人々を戦渦に巻き込み、多くの被害を与えた。また国内的には、膨大な戦費と兵力を無駄に費やす結果となり、豊臣政権を撤退させる要因となった。