織田信長と同盟し、東海地方に勢力をふるった徳川家康は、豊臣政権下の1590年、北条氏滅亡後の関東に移され、約250万石を支配する大名となった。五大老の筆頭にあった家康は、秀吉の死後に地位を高めた。
五奉行の一人で、豊臣政権を存続させようとする石田三成と、家康の対立は表面化し、1600年に三成は五大老の一人である毛利輝元を盟主にして兵を挙げた(西軍)。対するは家康と彼に従う福島正則・黒田長政らの諸大名(東軍)で、両軍は関ケ原で激突した。
天下分け目の戦いに勝利した家康は、西軍の諸大名を処分し、1603年、全大名に対する指揮権の正統性を得るため征夷大将軍の宣下を受け、江戸に幕府を開いた。