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慶安の変(1651)

1651年に、徳川家光が亡くなり、4代将軍は、家光の子で幼小の徳川家綱が就任した。

初代将軍の家康から3代将軍の家光まで、武力で幕府に従わせる強硬な武断政治をおこなっており、多くの大名が改易され、大名家の取りつぶしが頻発した。その結果、牢人(失業した武士)が大量に発生した。

この牢人たちが、将軍・家光の死をきっかけに反乱を企てた。これが1651年の慶安の変である。

この企ては失敗に終わり、首謀者・由井小説は自害したが、この事件は幕府に衝撃を与え、幕府は武断政治から儒教道徳を重視する文治政治へと転換していった。